時代区分は整理のための枠組み
時代区分は歴史を理解しやすく分けた枠組みであって、ある日突然世の中が変わったという意味ではありません。韓国史は一般に王朝を基準として古朝鮮、三国、南北国、高麗、朝鮮、近現代に分け、これとは別に先史・古代・中世・近世・近代・現代という区分も使います。本によって境目が少しずつ違うのは、何を基準にするかが違うからです。最初は王朝の順番と、それぞれの始まりと終わりの年だけをしっかり押さえておくと、残りの出来事をそのあいだに入れやすくなります。
先史時代から古朝鮮、三国、南北国、高麗、朝鮮王朝、近現代まで、韓国史の大きな流れを広く確立した年代だけで整理しました。
時代区分は歴史を理解しやすく分けた枠組みであって、ある日突然世の中が変わったという意味ではありません。韓国史は一般に王朝を基準として古朝鮮、三国、南北国、高麗、朝鮮、近現代に分け、これとは別に先史・古代・中世・近世・近代・現代という区分も使います。本によって境目が少しずつ違うのは、何を基準にするかが違うからです。最初は王朝の順番と、それぞれの始まりと終わりの年だけをしっかり押さえておくと、残りの出来事をそのあいだに入れやすくなります。
文字記録のない先史時代は、道具を基準に旧石器・新石器・青銅器時代に分けられます。新石器時代は櫛目文土器と定住生活、青銅器時代は支石墓と階層の出現が代表的な特徴とされます。記録に現れる最初の国家は古朝鮮です。古朝鮮の建国年代は後世の伝承にもとづくもので学界でも議論が続いていますが、衛満朝鮮が紀元前108年に漢の攻撃で滅んだことは中国の史書で確かめられる事実です。
古朝鮮のあと、満州と朝鮮半島には扶余、高句麗、沃沮、東濊、そして南部の三韓など多くの国がありました。このうち高句麗・百済・新羅が中央集権国家へと成長して三国時代が始まり、洛東江流域には加耶の連盟がありました。加耶は562年に大加耶が新羅に併合されて姿を消します。その後、新羅は唐と手を結んで660年に百済、668年に高句麗を滅ぼし、続いて唐の勢力を退けて676年に統一を完成させました。
新羅が大同江以南を支配したあと、北では698年に大祚栄が渤海を建てました。渤海は高句麗の継承を掲げ、満州から沿海州一帯を治めましたが、926年に契丹に滅ぼされます。南の新羅と北の渤海が並び立っていたという意味で、この時期を南北国時代と呼ぶこともあります。統一新羅は仏教文化が花開いた時期で、慶州の仏国寺と石窟庵はこの頃に造られました。9世紀以降、地方勢力が強まり、新羅は後三国に分裂します。
王建が918年に高麗を建て、936年に後三国を再び統一しました。958年、光宗のときに科挙が初めて実施され、試験で官僚を選ぶ伝統が始まります。高麗は契丹や女真、そして13世紀にはモンゴルのたび重なる侵攻を受け、そのなかで八万大蔵経を彫りました。1377年に清州の興徳寺で刷られた『直指』は、現存する金属活字の印刷本として最も古いものと広く認められています。高麗末には新興の士大夫と武将の勢力が手を結び、王朝交代が起こります。
李成桂が1392年に朝鮮を建て、都を漢陽に移しました。世宗の時代、1443年に訓民正音が創製され、1446年に頒布されました。朝鮮は朱子学を国家理念とし、法典と官僚制によって国を治めました。1592年から1598年の壬辰倭乱(日本では文禄・慶長の役)、1636年の丙子胡乱という大きな戦争を経たあとも、制度を改めながら王朝を保ちました。1876年の開港以降、外国からの圧力が強まると、1897年に国号を大韓帝国に改めました。
1910年の韓国併合により大韓帝国は主権を失って日本の統治下に入り、1919年には三・一独立運動が起こりました。1945年に解放を迎えましたが南北に分かれ、1948年に南で大韓民国政府が樹立されました。1950年に朝鮮戦争が始まり、1953年に休戦協定が結ばれます。近現代史は出来事そのものは明確でも、人物や政策の評価が大きく分かれる分野なので、まず年代と事実を正確に押さえ、評価は複数の視点の本を併せて読みながら判断するのがよいでしょう。
韓国史全体を一度に覚えようとすると、すぐに疲れてしまいます。次の順番で骨組みを作り、そこに肉付けしていくと長く残ります。